文化と心理療法-日本の場合-
本稿では日本文化の大きな特徴と、それが日本で行われている心理療法にどのような影響を与えているかを論じる。さらに今後欧米の心理療法にとって有益な提言をするとしたらどのようなものが考えられるかなどについての試論を述べる。なお内観療法や森田療法、さらには漢方や鍼灸治療との関連など、具体的な治療法に関しては他の機会に譲る。
日本文化における文化的弁証法と多重性
現代日本社会と文化の最大の特徴の一つに、その「多重性」がある。それは世界をリードするような先端的のテクノロジーとアニミズムの同居に代表される。現在、スマートフォンにも航空機にもロケットにも、日本製の精密部品が欠かせない。それと同時に、新年の初日の出を拝むために若者も大挙して海岸や山頂に出かけたり伊勢神宮などをパワースポットとして熱心に参拝するという、山岳信仰を始めとするアニミズムが厳然として日本人の生活と精神性を支配している。この山岳信仰は2013年にユネスコ世界文化遺産として「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」が登録されたことを見てもわかることである。
このような先端的テクノロジーとアニミズムの同居は、社会システムの面で言えば、議会制民主主義と天皇制の同居に代表される。地方自治体から国会に至るまで、賄賂や買収をある程度排除した、公正な選挙で選ばれる議会と首長によって構成される立法府と行政システムがある一方で、古代から続く天皇制を守っている。この天皇制の下で何か大きな出来事があると国民が天皇の言動に大きな影響を受けて事を進めて行くのは現代でも変わらない。日本の民主主義の諸原則は、アジアでは唯一とも言うべきレベルの高さで、法律によって明文化された規程が守られているのに対して、天皇の周りには明言されない厳然としたタブーと「配慮」が満ちているのである。
文化においてもこれは同様である。例えば演劇では古代からのペルソナ劇とも言える「能」と「歌舞伎」が、現在でも大衆からの支持を得ている一方で、現代演劇やミュージカルも盛んである。都市建築では、とくに古都京都における歴史的建造物と現代的な建築との混在は世界的に見てもユニークである。また食文化においても、「刺身」や「寿司」に代表される和食は、素材の味をそのまま生かすことに最大の努力が注がれる。それと同時にトップレベルの現代フランス料理やイタリア料理を取り入れた創作料理で有名なレストランも多数あり、東京は世界中の料理と新しい創作料理が高いレベルで食べられる世界有数の都市となっている。
宗教においては、古代から続く神道の神を祀り1000年以上の由来を持つ神社が、各地に多数存続して多数の参拝者を集めている。その一方で、キリスト教に代表される外来宗教もクリスマスやハローウィーンなどのイベントを通じて国民生活に定着している。生活信条やフォーマルな対人関係においては、古代中国由来の儒教が強い影響力を保っているし、アニミズム的な祈りの背景には、「陰陽道」が息づいている。こういった様々な有力な宗教の中にはキリスト教に代表される一神教から、神道のような多神教までが含まれるのである。ちなみに「日本人は生まれた時には神道で、結婚式はキリスト教で、死んだときには仏教で祈る」と言われるように、その多重信仰(syncretism)がよく知られている。これは、ISSP(International Social Survey Program)による「国 際 比 較 調 査 ( 宗 教 )」において「宗教を信仰している」人の割合が全体の39%という、国際的にはかなり低い数値となっていながら、「墓参り」や「初詣」などの宗教行動に関しては「したことがある」という人も含めると90%を超えるという高い数値になっていることからもうかがえる(ISSP,2008)。これは島薗(2007)が『無宗教』と言われたり自己卑下したりしていることの多い日本人が、実は広い意味での『宗教的なもの』とされるものやスピリチュアリティに通じるような感受性や考え方を持っているとしているように、日本固有の現象であると思われる。それは筆者の考えでは、多くの日本人は特定の宗教を信仰しているのではなく「祈り」や「人間を超えた存在へのrespect」「自然へのrespect」を大切にしているのである。この点については、この章の続編で再び触れることになる。
以上のように、様々な点で古代から引き継がれたものと、現代の最先端のものとが共存している点に日本文化の一つの大きな特徴があると言える。そして、それらが対極的な位置にあり続けながら同居しているというのがもう一つの特徴である。このように両極端の対極的な傾向が並立しているという文化的弁証法(cultural dialectic)が、日本文化におけるもう一つの特徴ということができる。そしてこの両極端が並立しながら発展していけるなら、日本文化の未来は明るく、また、世界に対して建設的に提案できることも多いと言える。
日本の心理療法における多重性と弁証法的状況
では、日本の心理療法はこのような文化・社会状況とどのような相似関係にあるのだろうか。結論から言えば、心理療法においても日本は多重性と弁証法的両極性に富んでいると言える。最古層の占い(陰陽道や易、西洋占星術など多様である)が日常的に利用されており、都会生活をしているクライエントたちはもちろん、臨床心理学専攻の大学院生たちですら時に利用する。その一方で、最先端の現代的な認知行動療法や対人関係療法なども盛んになりつつある。それらの中間的位置には古典的精神分析やユング派の精神分析と、それらを日本人の生活スタイルに合うように多少アレンジしたものも盛んである。
日本の臨床心理士の70%が自身のオリエンテーションを「折衷・統合的」とみなしており(岩壁・金沢,2006)、世界的にみても非常に高い比率となっている。これもまた、日本の持つ多重性に含まれる現象である。この高い比率の背景には、高等専門教育の不十分さや本人たちの自信のなさに由来するものもあると考えられるが、それ以上に日本文化の持つ多重性と関係が深いと思われる。そこには今後心理療法の統合や多様性を保ったままの共存が発展していく可能性が秘められていると言える。
3.日本語の持つ魔術性と「祈り」的性格
日本文化のもう一つの大きな特徴は、その言語にある。日本語はインドヨーロッパ言語と違って、説明的・論理的な性質が少なく、その反対にできるだけ主語を省き、曖昧(vague)な言い方を好むという特徴がある。短歌や俳句という非常に短い詩が1500年以上も前から民衆によって支持されてきているのも、短い言葉で暗示的に語ることを好む日本人と日本語の特徴を典型的に表わしている(文献○○)。そして、このような特徴は、日本語の持つ魔術的・言霊(ことだま)的性格として、極端な場合には重大事故や過失の原因や責任を明らかにしないという負の側面も持っているとされている(河村,1994)。
もちろん日本語が強く持つこの魔術性は、肯定的に働く場合には、日常生活の中での「祈りの言葉」として機能している。しかも、その祈りは超越的な存在にのみ向けられるものではなく家族や友人、店のお客、食べ物や道具に至るまでを対象にする。使い古した針や人形を「供養」と称して、神社で弔ったり、オートメーション機械に名前を付けて、新年には注連縄(しめなわ:リース)をつけて祈るというのも、小さな物や生命のないものも擬人化して扱う心性から来ている。これは世界をリードする日本の人型ロボット工学にも、世界中で評価されているアニメ映画にも通じるものである。
しかし、このような日本語の持つ魔術性と祈りの性質が、マイナスに働いた典型例が、「原子力発電は絶対に安全だ」という言説に代表される「安全神話」である。この安全神話によって反対運動は封じ込められ、安全対策もリアリティから遠のいたものになりがちなのである。そしてその一方で科学的客観的「安全」ではなく主観的な「安心」を求めるために、これもリアリティから遊離した過剰な要求がなされることもあるのである。これらの言説はすべて現実的・具体的な対策としてではなく「祈り」としてとらえると、とても良く理解できる。
4.「おもてなし(hospitality)」と権威主義、「型」の文化
上記のような日本文化の持つ多重性と弁証法的両極性は、対人サービスの場にも表れる。その代表が「おもてなし(hospitality)」と権威主義である。「おもてなし」は、日本人なら誰でも持っているとされる客や友人への心のこもったサービス精神である。権威主義は「年長者や権威を敬う」という儒教由来の精神であるとともに、「年長者であり権威者である私は、敬われるのが当然である」という態度でもある。この「おもてなし」と権威主義が合体すると、「年長者や権威や上司に絶対服従しながら奉仕する」という自己犠牲的な奉仕になり、それが近年の日本におけるうつや自殺の増加につながっているとも考えられる。
また、このような「おもてなし」文化は、日本語の持つ曖昧さと併存すると「型」や「様式」でその気持ちを表現しないと伝わらないこととなり、「茶道」に代表される「型」を重んじる文化となる。この「型」の文化と権威主義が結びつくと、「権威者や年長者を盲目的に敬い、彼らから教わった通りに実践する」というものになる。このような態度が家庭の中でも学問の世界でも企業においても、本人からも周囲からも強く求められるというのが、一般的な日本の状況である。そして、それが災害からの復興などの、異論の余地がなく目的がはっきりした場面ではとても有効に働く一方で、独創性を求められる企業展開や学問の領域では停滞に陥りやすい原因ともなっている。
5.日本文化の特徴と日本の心理療法
これまで述べてきたような日本文化の特徴は、そのまま日本の心理療法の特徴ともなっている。そしてそれは日本発祥の森田療法や内観療法に限らない。たとえば箱庭療法(sand play technique)はロンドンで考案されスイスで発展した技法であるが、今や世界でも日本で最も普及している。これは「3」で述べた「小さな物や生命のないものも擬人化して扱う心性」によるものだと考えられる。また、精神分析はFrank&Franc(1991)によれば、本来ヨーロッパの権威主義的性格を持っていたものが、北米に輸入されて「フレンドリーな」ものになったとされている。しかしながら、それがさらに日本に導入されて再び本来の性格である権威主義的な側面を甦らせていると言える。そして精神分析はそのような形で一定の支持を得ているのである。また、C.R.Rogersの来談者中心療法は、ヒューマニスティックかつ「おもてなし(hospitality)」の態度があふれるセラピストと、反対に権威主義的なセラピストが混在していると考えられる。認知行動療法は科学的中立的な態度と「暖かさ」をもったセラピストと、日本古来の「型の文化」にはまってしまっているセラピストが混在しているようにも思われる。
6.女性の位置づけの複雑さ(中心でありながら周縁)
もう一つ欧米圏の心理臨床家にとって理解しにくいことに、日本における女性の地位がある。日本では、女性は儒教文化の中で一見抑圧された立場にいながら、実は基底部分において実権を握っている存在である。それでいながら性的な存在としての妻は、セックスレスな状況に置かれ、一部の夫たちは若年売春(援助交際という曖昧な表現の下で)によって性的欲求を満たしている。これは現代だけのスタイルではなく、300年以上続いている伝統的なあり方である。このような「遊郭遊び」は、落語や江戸文学の世界においては非常にポピュラーなことである。
これは古代日本から続く女性の宗教的・霊的地位の高さと、近代日本の男性優位社会のまさに文化弁証法的両極性ということができる。
7.日本文化と日本語の持つ両義性(ambiguity)
ここまで述べてきたことに加えて、さらにOe(大江健三郎,1994)において指摘されているように、日本文化と日本人の心、そして日本語はambiguityの中に引き裂かれた状態である。それは上記の「おもてなし」が、じつは「hospitality」と同時に「自己犠牲的奉仕」を含んでいることに代表される。同様に「祈り」は「呪い」も含み、「もったいない」は「倹約・節約」とともに「吝嗇」をも表すのである。また日本由来の心理学用語として有名なDoi(土居健郎,1998)の「甘え(Amae)」も「依存期待とそれが満たされなかった時の恨み」を含んでいるものである。
このambiguityは、Oeの述べるとおり、引き裂かれ傷ついた状態ではあるが、筆者の考えでは、まさにこの引き裂かれ傷ついた状況と言葉こそが、可能性に満ちたものである。それは、Amaeという日本由来の言葉が、現代精神分析の投影性同一化(projective identification)や間主観性(intersubjectivity)などの言葉にも似た、力動性や対人間の往復運動を包含した言葉であるところにも象徴されている。すなわち、日本語の持つambiguityこそが、「二者心理学」の世界を的確に描写できる可能性があるのである。そして、このようなambiguousな日本語を心理学用語として輸出していくことが、我々日本の臨床心理学者の務めでもあると考えられるからである。繊細で曖昧(vague)な味を持つ日本食が、世界中で人気を得て世界無形文化遺産に登録されたように、日本語の持つ曖昧(vague & ambiguous)さと繊細さを、心理療法に生かして、さらにそれを輸出していくべき時代が来たと言えるのかもしれない。
(続く)
次回内容
日本文化にありながら心理療法として生かされていないもの
能と歌舞伎落語
日本人の「祈り」や「人間を超えた存在へのrespect」「自然へのrespect」
文献
Doi,T.& Bester,J. (1994)The Anatomy of Dependence.
Frank,D.J & Frank,B.J.(1991) Persuration and healing: A comparative study of
psychotherapy.
ISSP (International Social Survey Program) 2008,
http://zacat.gesis.org/webview/index.jsp?object=http://zacat.gesis.org/obj/fStudy/ZA4950
金沢吉展・岩壁茂. (2006). 心理臨床家の職業的発達に関する調査から:(1)臨床家としての自
己評価に影響を与える要因について.日本心理臨床学会大会論文集.
河村湊(1994) 南洋・樺太の日本文学 筑摩書房 pp19-20.
Oe,K.(1994) Japan, The Ambiguous, and Myself. Kenzaburo Oe - Nobel Lecture:
Nobelprize.org. Nobel Media AB 2013. Web. 23 Jan 2014.
http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1994/oe-lecture.html
大江健三郎『あいまいな日本の私 』岩波新書、1995年
島薗進(2007)スピリチュアリティの興隆-新霊性文化とその周辺-』岩波書店
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