明けましておめでとうございます!
本年もよろしくお願いいたします!!
さて、本ブログの8月の記事「I love you は突然に?」にちょこっとだけ書いたら、思いの外「もっと詳しく書いて」というご要望の多かった「やられたら半返し!」について、やっと書く時間ができました。じっくり読む時間のない人のために結論から先に書きます。
<結論>
「長期にわたる対人関係では、『やられたら半返し(つまり仕返しや反撃は、半分程度の量や強さにする)』というやり方が、お互いにとって最もいい結果を生む」
つまり、何も反撃しないのでもなく、かといってひところ流行った「倍返しだ!」でもなく、「半返し」が理想的な対応だという考え方です。
これは、基本的には、私(福島)の長期的な体験や継続的な観察から来ていますが、多くのクライエントさんたちや同僚、昔からの友人の行動パターンを見ていて導き出した一つの教訓です。
<具体例>
たとえば、会議や飲み会の席で、同僚Aさんからこちらに対して濡れ衣的な責任転嫁のような発言を受けたとします。その場で黙ってしまったらそれを認めたことになりかねません。かといって「そんなこと言って、Aさんこそ○○でしょ?」と倍返し的に反撃すると、その場は何とか収まってもこれを繰り返していると、長年の積み重ねでだんだんとこちらの評価も下がってきます。
このような場面で「いえいえ、それは違います」と穏やかに否定して、反撃まではしないというのが、ここでいう「半返し」のイメージです。あるいは、せいぜい「いいえ、それは全く違います。事実は〇〇で、その結果こうなったのです」とはっきりと根拠をあげて反論するというものです。
このような態度を一貫して示していけば、長期的な関係において、少しずつ周囲の評価や相手からの信頼も得られて、理不尽な責任転嫁や八つ当たり、さらにはいじめにあうリスクがどんどんと減っていきます。
反対に逆ギレしたり、反論もせずにそのままにしていることが続くと、評価を落とすだけでなく、かえっていじめの対象となりやすいのが日本社会の特徴です。
別の例としては、カップルや家族を考えてみましょう。
問題のあるカップルや家族の関係で、共通してみられる傾向の一つに「片方、あるいは誰かの一人勝ち傾向」です。
つまり、カップルや家族の中で、勢いや気持ち、あるいはお金や暴力など、何らかの形で優位に立っている人が、いつも一方的に勝ち続けて、他の人は反論さえしないかあるいは愚痴という形の口だけの不満を漏らすのみという関係です。
これまでたくさんのカップルやご家族にお会いしてきましたが、この「一人勝ち」が性別や年齢に関係なく起こるのが、このような親密な関係のおもしろいところではあります。
このように「一人勝ち」され続けた相手や家族は、正面から半返しすることなく、何らかの形で逃げたり、たまにブチ切れるだけで、また元の木阿弥に戻ったりする場合がとても多いのです。そして、さらには不登校やひきこもり、大人であれば浮気や借金、体調不良というかたちで反撃するという形になりかねません。
これでは、だれも幸せになれません。
ちなみに日本では負のエネルギーは集団内部に向かいやすいので、一度集団内で「いじめ対象」認定を受けると、どんどんその人にいじめが集中するということが起こります。これを私は「逆エントロピー現象」(本来拡散するはずのエネルギーが逆に集中していってしまうこと)とか「(対人関係における)ブラックホール現象」と勝手に名づけています。
最近の日本ではさすがに下の立場の人たちが、上の立場の特定の人をいじめるというのは稀ですが、それでも「なめる」「なめられる」という関係は発生します。それは、教師と生徒との間でも言えることです。学級崩壊やゼミ崩壊には、やはりこの半返し不足やまじギレ過剰がみられます。
そんなこんなで、これらがすべて、半返しのうまくできていないひとをめぐって起こるというのが、私の観察の結果です。
<間接互恵性と(処罰感情における)道徳感情論>
上記のことは、社会心理学で言われる「間接互恵性」の攻撃性バージョンと言っていいかもしれません(あるいはすでにそのような理論があるのかもしれませんが)。間接互恵性とはつまり、ある個体が利他行動(他者に親切にするなどの行動)を行った結果、その個体の評価が高まり、他者に行った利他行動が回りまわって別の他者から返ってくる仕組みのことです。これは実験や自然観察法などいろいろな形で確かめられていることです(たとえば(Kato, et al.,2013))。
人類は自らの生存率を上げるため、このように言葉や他者からの観察による「評判」を媒介とした協力関係システムである「間接互恵性」を進化の過程で身に着けてきたと考えるのが最近の進化心理学です。
この間接互恵性は「利他行動」となっていますが、これを「(理不尽な)攻撃に対する大人な反撃」の仕方としての「良い評判」を得て、回りまわって利益を得るというものが「半返し」理論ともいえます。
また、この間接互恵性の理論と、人間の処罰感情とを英国の経済学者アダム・スミス(Adam Smith, 1723~1790)の『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments,1759)』とつなげて論じて、世界史上あちこちで繰り返して「格差の拡大」が広がり過ぎると必ずこの道徳感情での「正義」が否定的な形で猛威を振るって、悲惨な事件や戦争が起こるとしているユニークな論考もあります(管賀,2017)。
<私たちの中に鬱積している怒り>
では、なぜ、数年前の半沢直樹のドラマや小説の「やられたらやり返す、倍返しだ!」があれほど好評だったのでしょうか?
これは基本的には、私たちの心の中の「勧善懲悪」の気持ちが満たされる、(水戸黄門以来の?)久々のシンプルなストーリーだったからともいえるし、最近の日本が格差の広がりをもとにした「ネガティブな道徳感情」が強まっているからとも考えています。
たしかに、あの小説に登場するような悪人たちには、倍返しが必要ですし、実際に世の中には巨悪と呼ばれる人物や、パワハラの尽きない、地位のある人がいるのも確かです。そのような人たちには、やはり倍返しするしかないのかもしれません。
でも原作者の池井戸潤さんも、本当は半返しの方が望ましいということに気づいていたのではないでしょうか?
だからこそ、主人公の名前だけは「半」を付けておいたのではないでしょうか?
文献
1)Kato-Shimizu Mayuko*, Onishi Kenji*, Kanazawa Tadahiro, Hinobayashi Toshihiko (2013)
Preschool children’s behavioral tendency toward social indirect reciprocity.
PLOS ONE 8(8): e70915.[DOI] 10.1371/journal.pone.0070915
[URL]http://dx.plos.org/10.1371/journal.pone.0070915
2)管賀 江留郎『道徳感情はなぜ人を誤らせるのか―冤罪、虐殺、正しい心』(洋泉社、2017)
以上