とっても久しぶりのブログ更新です。
この1年の間に、福島の身に起こった大きな出来事といえば、なによりも「公認心理師」関連です。
必携テキストの執筆・編集から大ヒット、そして必須センテンスの編集とその反響₍ポジティブとネガティブいろいろありました!)、さらに国家試験本番です。
年が明けてからは「国試問題解説」と「マンガでやさしくわかる公認心理師」も出版しました。
これらを一応、無事にしのいできました!
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?
さて、この1年、いろいろな人や事件、マスコミからも家事と育児、そして男女格差の問題について考えさせられてきました。
私は元より男女同権論者ですし「男も家事育児を十分にやって当然」という立場です。
さらに女子大の教員としても、生来のバランス重視派としてもどちらかというと女性の権利擁護の方に重点を置きたいのが本音です。
そして、別のブログや小論文にも書きましたように、私自身30歳の頃から「家事をやらない人のあらゆる言説は信用しない」という原則を立てて、今も守っているつもりです。
そもそもなぜそう決めたのか、今振り返ると家事をやらない人には、私が大切にしている「日常性へのリスペクト」が圧倒的に欠けているからです。
けれども2000年を過ぎてもうすぐ20年になろうとする今日この頃、改めて家事・育児をしない若い男性たちに何人も出会って、今更ながらに驚いたこの1年でした。
「苦手だからしない」「仕事で疲れているからできない」「妻に言われれば、その都度やっているから充分」等々、全部ごもっともです。
さらに驚くことに、私の勤務先の女子大学の男性教員たちも家事をしていない人が多いということに気付かされました。
専攻内の男性教員はもちろん、先日立ち話をしていて明らかになったのは前学部長、現副学長も家事はほとんどやらず、家事をしているのは、学長と私だけでした。
最近の調査でも、以下のような結果が出ています。
「フルタイムで共働きをしている夫婦1,000名の家事の分担状況について「妻がほとんど担う」は27%、「妻が主だが、夫も少し分担」が38%で、あわせて64%の共働き家庭で妻がメインで家事を担っていることが示されました。なお、「妻と夫で分担」しているという家庭は31%です。」https://honote.macromill.com/report/20181030/
この事実は何を意味しているのでしょうか?
しかも、私の偏見で言わせていただければ、現実的かつ柔軟に仕事をこなしている男は家事もやっているのです。(上記の具体例からも言えるのですが、これ以上のコメントは差し控えさせていただきます)
そもそも家事・育児という日常性やリアリズムの最たるものを、そんな形で誰かに任せてしまえて、大丈夫なのでしょうか?
それで仕事はうまくいくのでしょうか?
★妻の理想化と奴隷化、それは紙一重ーどちらもマザコン?
(以下の記述は、すべて男女を逆にしても成り立ちますし、同性カップルにも成り立つので、その際には「男女」を入れ替えたり、「パートナー」にしたり「母を父に」読み替えてください。ただ、個人的にはやはり男性の女性に対する甘えが顕著なので、基本的に「夫」の問題として記述しました。)
パートナーに対する極端な理想化は、それがそのまま奴隷化の裏返しです。
例えば「うちの妻は家事・育児は任せて大丈夫」「うちのパートナーはいつどんな時でもとても優しいから決して怒らない(あるいは怒るけれど、すぐにご機嫌が直る)」などの発言は、すでにそこにパートナーの優しさに甘えている様子が見られる場合があります。これは相手を理想化しているからこそできることです。「妻はいつも綺麗で笑顔でいて欲しい」「夫はいつも頼りがいのある立派な男でいてほしい」という気持ちや発言の裏にあるものと同じです。
もちろんその反対に「僕は忙しく働いているんだから、すべて僕に従って欲しい」という発言には相手を奴隷化している姿勢が見られます。
本来、パートナーは相互作用で成り立っているのですから、自分のあり方を抜きにして「全部やってもらえるはず」「いつも綺麗で笑っていられるはず」ということはあり得ません。家事から笑顔まで、夫婦はすべて「お互い様」であるはずです。
★専業主婦の存在は歴史のごく一時期だけ
男性に家事の話をすると「僕の母親は専業主婦だったので、父親が家事をするのを見たことがない・・・」と言葉を濁す人が少なくありません。たしかにそうだったのかもしれません。現在の30代~50代は、母親が専業主婦として家にいて、家事はすべて母親がやり、夫や息子が家事をすることを良しとしない世代だったかもしれません。
けれども、これは、日本史上まれに見るほんの一時期の出来事です。それ以前は、主婦と言っても家の近くの畑で野菜を育てたり、商売をほぼ対等に切り盛りしたり、それがなくても水汲み洗濯など、とても忙しかったし、平成の後半からは夫婦共働きが圧倒的に多くなってきているのです。
このようなごく一時期の生活習慣を、まるで普遍的なもののように考えるのは、妥当性が低いと言わざるを得ないでしょう。
★平成の30年間を通じて、男たちはまた甘えるようになってきている?
バブルの頃の男たちは、浮かれてはいてもあまり甘えてはいなかったように思います。その前の高度経済成長期もそうだったかもしれません。もちろん、その陰で過労死や過労自殺などの悲しい事例はたくさんあったのかもしれません。
ところが、この30年近く、日本の男たちは元気がなくなり、それだけでなく「構造改革」を不十分なままにして、政治・経済・産業構造・教育・研究等々のすべての分野で、中途半端に甘え、現状維持にしがみついていると指摘する識者も複数います。なかでも特にマスコミと司法制度と教育制度は、世界水準から相当に遅れているのは、数々の指標から疑いのないところでしょう。
もちろん、それ以前、明治期の男性たちが「男尊女卑」の名の下に、女性に甘えていたのは様々な文献や小説からも明らかなことです。
家事をしない男たちというのも、時代に流れによって見え隠れする、男たちの甘えのその一環に過ぎないのかもしれません。
このように考えていくと、現代日本で司法制度やマスコミにおいて、人権尊重がなかなか進んでいかないのも、こういう男性たちの甘えから来ているのではないかとすら思えてきます。
先進国では他に例を見ない「人質司法」や「被害者・加害者バッシング」の主導者たちが、日々家事をしているとは到底思えないのは、私の偏見でしょうか?
この際、私たちは一番身近な「家事」という視点から、構造改革を徹底しないと、新しい時代についていけないのではないでしょうか?
(終わり)