最近、マスコミでは様々な心の問題に関連する事件が報道されています。ピエール瀧さんの薬物嗜癖から、引きこもり傾向の40~50代の方に関係する事件等々です。
それらの事件報道に心を痛めていたら、数十年前のクライエントさんのこんな言葉を思い出しました。
「僕は確かに、いろいろ弱いです。いろいろなことが気になって、すぐに眠れなくなったり、体調が崩れたり気持ちがくじけたりします。でも、こうやってこれまでやって来れました。そして誰よりも継続できてます。
つまり、僕は自分の弱さを知ってるし、だからこそそれを踏まえて、それに備えていろんな人に相談したり、いろんな工夫をしてます。つまり弱いから強いんです。」と。
当時、まだ30歳そこそこの若手カウンセラーだった僕は、その言葉に心底感銘を受けて、ひたすら泣きながら、うなずきながらその言葉を聞きました。
そこに「強さ」と「弱さ」のパラドックスを超えた、人間のあり方の本質的なものを感じたのです。そして、それをさまざまな挫折や紆余曲折と試行錯誤とを繰り返した後に、やっとたどり着いた言葉として本人の口から発せられたのが、とても感動的だったのです。
当時、彼はそれまで彼を虐めてからかいの対象としてきた母親と姉とに対しては、やっと距離を取ることができるようになりつつ、職場の上司やカウンセリングを上手に頼って、自分なりの生き方をつかんで行ったところでした。
つまりここには「自分の弱さを受け入れて、上手に複数の、しかるべき人に頼る」という理想的な対処スタイルが出来つつあり、すなわちそれが「強さ」だという洞察とプライドにも至っていたわけです。
反対に、今回報道されている事件の人たちを見ると、(あくまでも報道されている限りでは)何とか強気で頑張ろうと「強さ」だけに頼ってしまって、ヤケを起こして強気に暴発してしまって、結果的には社会的に孤立して「弱く」なってしまっていたのだと思わざるを得ません。
幸いにしてピエール瀧さんは、釈放後は、石野卓球さんや家族にうまく頼れているのかもしれないとも思えるので、そこには希望を感じます。
元野球選手の清原さんも、以前の「強がり番長」的な雰囲気で家族や仲間からは孤立していた様子から、現在はさまざまな治療仲間やコミュニティの中で、支え合って生きているご様子です。
やっぱり「弱いは強い、強いは弱い」ですよね。
マスコミにもこの辺りを是非わかってほしいですし、当事者叩きの伝統をいち早く放棄してほしいものです。