近刊予定の「心理療法統合の手引きー実践でのコツをつかむ」(誠信書房)から、カップル・夫婦・家族への統合的アプローチに関する第9章の主要部分を、抜粋の形で、掲載いたします。
とくに表9-1 カップル・夫婦・家族に対応する場合の統合的目標設定には、ちょっと自信がありますので、ご覧ください。
1.カップルや夫婦関係を扱う–統合的セラピストの活躍の場として
できるだけClのお役に立とうとしているThなら、Clが家族の問題を抱えていて、その問題の効果的な解決のためには、実際に家族に会った方が早くて効果的と思ったことはないでしょうか。あるいはClから「本当は、家族にも会ってほしい」と言われたことがあるのではないでしょうか。
もちろんClの内的な家族イメージや対象関係こそが問題で、あくまでもその内的な家族イメージを対象化して取り組むというのが、個人心理療法の基本的な考え方です。けれども、現実に家族間でのコミュニケーションの食い違いや、相互的なトラブルが起こっている場合、あるいはそのトラブルがさらに拡大していくという悪循環をできるだけ傷が浅いうちに何とかしようとするならば、個人セラピーにこだわらずに、必要に応じてカップル・セラピーや夫婦面接・家族面接を取り入れたり、そちらに切り替えたり、あるいは個人セラピーと家族面接を並行して適宜実施するというのも統合的な心理療法の一つです(中釜,2010)
とくに中釜(2010)は家族療法と個人療法の統合という文脈において「個人療法が耕した土壌に、機会をとらえて家族療法的視点・実践を組み入れるやり方の方が、家族メンバーからの抵抗も少なく、援助者にとっても他のパラダイムとの相性がよいといった理由から実質的だという印象を深めている」としています。そして、その際に重要なのは「多方向への肩入れ」(multidirected partiality:Bozormenyi-Nagy,1973)と「対等性」であるとしています。
このような考え方の背景にあるのは、「多様性を受け入れる姿勢」と「民主的な姿勢」だと思われます。これはまさに統合的心理療法の思想的背景と同じであると言っていいでしょう。その意味で統合的Thとカップル・夫婦・家族セラピーは相性がいいと言えますし、統合的Thこそこのようなある意味で柔軟で多様な対応を必要とするセラピーをより良く実践できるとも言えるのです。
カップル・夫婦・家族には、愛情(アタッチメントと言い換えてもいいかもしれません)の問題だけでなく、パーソナリティや発達特性、それぞれが引き継いできた文化、ジェンダーの問題、パワーバランス、そして経済、さらには住環境や職場の問題も関係してきます。これらに対応するためには、やはり単一理論では不十分で、複数の視点と技法を持った統合的Thこそがより良く実践できる可能性を持っていると考えられるのです。
2.カップル・夫婦・家族に対応する際の統合的目標設定
カップル・夫婦・家族には、様々な様態があり、そこに生じている問題も多様です。社会・経済的問題や暴力の問題、さらにはメンバーの誰かが依存症になっていたり、あるいはお互いが共依存になっている場合もあります。さらには、お互いの持っている文化やスタイルに対する無理解や不寛容から問題が生じている場合や、愛情表現がうまくできていない問題等々様々です。
これまでに紹介されてきたカップル・夫婦・家族のセラピーの文献では、家族理解のための視点としては社会や職場の問題から個人の内面の問題までを考える統合的な視点はあっても、介入そのものはあまり統合的に語られることがありませんでした。ですので、本章では介入も含めた統合的な視点を紹介したいと思います。また、この章で扱うカップルには、近年増加しつつある同性同士のカップルも含まれていることを追記しておきます。
表9-1には、統合的な介入を含めたカップル・夫婦・家族の段階的な目標を例示しました。
表9-1 カップル・夫婦・家族に対応する場合の統合的目標設定
各段階の目標 |
内容 |
注意点 |
① グランド・ルール (大前提としての基本ルール) |
暴力禁止(性的・精神的・経済的虐待を含む)、相手を無視しない。合意のない借金や浮気はすぐにやめる。 |
「怒鳴る」はもちろん、「問い詰める」「長時間(長文)の説教」も暴力であることを認識する。大事な瞬間や長期間にわたる無視をしない。 |
② 人間として望ましい態度 |
相手の話を傾聴する・侮蔑的態度を取らない。アサーティブな関係を持つ。「責める」「問い詰める」のではなく肯定的な愛情表現をめざす。 |
本人は自覚できていない場合も多いので、LINEの記録や録音データなども積極的に直接参照する |
③ お互いの文化やパーソナリティの違い(多様性)を認識して受け入れる |
カップル・夫婦・家族であっても異文化や性格・生きるスタイルの違いがあることを認識して受け入れる。 |
相手との「密着」的な関係を望むのか、「適度な距離」を望むのか。「効率性」を重んじるのか「親密性」を重んじるのか等々の違い。 |
④ 現代人としての民主的態度 |
年齢・性別に関係なく対等な関係の中で、お互いの責任を果たす。 |
現代社会に共通の価値観として、さらに健全なアタッチメントの形成のためにThから提案すべき価値観。 |
⑤ 率直な愛情表現と感情の共有 |
お互いへの愛情や共感を言語・非言語の両方で表現する |
「恥じらいを抱えつつも、いかに愛情と共感を表現できるかのチャレンジ」ととらえ、「今ここで」表現してもらう。 |
⑥ 円満な別離もあり得る |
お互いに納得した形での別居・別離も選択肢の一つであることを考慮する |
①~⑤のすべてを試みたうえで、それらがうまく行かない場合は別離もありうることを前提とする。 |
Thは基本的には「傾聴」と、それぞれの発言の真意を相手に伝わりやすい言葉に置き換える「通訳」に徹しながらも、その背景としてそのカップル・夫婦・家族が上記のどの段階にあるかというアセスメントと、その段階ごとの目標を当事者たちと共有する必要があると筆者は考えています。つまり、上の表のようにアセスメントと必要性に応じて①からスタートして、⑤に到達できれば、理想的な終結、そして場合によっては⑥という形の終結もあり得ると考えています。
すなわち、カップル・夫婦・家族カウンセリングにおいては、すでに述べた「多様性を受け入れる姿勢」と「民主的な姿勢」以前に、暴力の問題や性的・精神的・経済的虐待があったなら、それを指摘してやめてもらうなどの①のグランド・ルール(基本的ルール)の確認が必要となります。ここには、「ここぞという大事な瞬間に相手を無視しない」「長期間にわたる無視も(DV)虐待である」、さらには「合意のない借金や浮気はすぐにやめる」というルールも入れていいと考えます。これらをセラピーの初期にしっかりと確認し、努力目標として合意を得る必要があります。
欧米ではカップルや家族に非合意的な暴力が存在することが発覚した場合、セラピーを実施すべきではなく、関係者の安全確保が最優先にされるべきであるとされています(Payne,2022)。けれども当事者の意識も含めて関係各機関の整備が十分であると言えない我が国においては、「それは暴力ですよ」「そういうときは警察を呼びましょう」などの強めのガイダンスを含めて、セラピーの出発点として、そこから取り組みを始めるのが望ましい場合も多くあります。
また、②の人間としての望ましい態度をメンバー全てに求めるなどの、基本的価値観や倫理観の提供という大切な業務があります。多くの場合、これらが守られていない関係性にある当事者はその問題性を認識できていない場合もあるので、Thは注意深くそのような事実がないかどうかを探索する必要があります。近年では、スマートフォン等での録音・録画やテキストメッセージを直接見せてもらって指摘すると、効果的な場面が増えています。
以上のような基本的ルールがすでに守られている場合や、セラピーを通じて守れるようになったら、③の多様性を認識して受け入れる姿勢、④の民主的な態度、⑤の愛情表現と感情の共有などの課題が大切となってきます。欧米の文献で主に紹介されているカップル・セラピーは、この⑤の段階の取り組みについて、ていねいに解説されていると考えると納得のできるものが多いと言えます。そして、まさにこの⑤の段階の取り組みこそ時に感動的でTh冥利に尽きるものではありますが、Clの利益を優先して考えれば、それ以外の段階もとても重要なものとなります。
また①~④がスムーズに越えられるカップルは、その段階ですでに⑤に取り組んでいる場合が多く、すでに主訴が解消している場合もあります。反対に①~④はできるようになったけれども、セラピーでそれができるようになる前のそれ以前の状態の期間が長すぎて、心が冷えてしまっていて、⑤になかなか取り掛かれないというご夫婦もあります。
さらには、欧米のカップル・セラピーでは原則とされやすい「関係解消を望んでいる場合には実施しない」という点(三田村,2023)は、他に適切な相談場所があまりないという意味で日本の現状には合っていないと思われるので、⑥の「関係解消」もあり得るという前提も持っていたいと考えています。
このような①~⑥を達成するためには、それぞれの段階でThからの十分な心理教育やアサーショントレーニング、さらにはThの前でロールプレイをしてもらう、合言葉やキーワードを提供したり、そのカップル・家族に最適な合言葉をその場で一緒に作ったりなど、まさに統合的な取り組みを通じて関わっていくことが大切となります。しかも、対等性や民主的な態度、愛情表現など、日本人にはこれまでの世代にロールモデルがなかった場合が多く、具体的に例示して心理教育する必要があるというのを痛感している筆者は、本書の本章で以下に述べるような合言葉やキーワードなどを多用するセラピーを実践しています。(以上)